ロキノン爺の逆襲

音楽のことをつらつらと。主にアルバム、曲のレビュー

ゆるやかな諦めを受け止めて。 宇多田ヒカル「BADモード」

世界中の誰もが向き合っている疫病。音楽の世界にも天地がひっくり返るほどの影響があり、現在進行形で進んでいる。

2020年は立ち向かおうとする曲が、2021年は無理をしないことを勧める曲がよく流れていたように思う。

向き合い方が誰も分からない情勢はアーティストも同様だったなか、「ありのまま受け止める」という音楽も生まれてきた。宇多田ヒカルのアルバム「BADモード」もその一つに感じられる。

2022年、人類の現在地

アルバム「BADモード」は、タイトルからしてキラキラと弾けるような作品ではないことは明瞭だが、ギラギラとした力強さがみなぎっているわけでもない。ゆるやかな諦めが流れているようだ。

「この情勢が終わったら会おう」という常套句、16時45分の速報、マスクをせず向かってくる人と距離を離す瞬間。嫌が応でも順応せざるを得ない状況、これを覆す力は音楽にない。

人類の多くが憂鬱で内向的になっている今現在、流れてくる音楽としてこのマイナーでダウナーな曲たちは至極自然なことに思う。応援歌や慰める曲ではたどり着けない、市井の人間としてのリアリティが言葉選びからもサウンドからも伝わってくる。

イギリスで製作されたにも関わらず、同じ場所で同じ出来事を見てきたかのように寄り添っている。今起きていることの大きさへの恐怖すら感じさせる。

再び紡がれる物語

10曲の収録曲の半分以上が既発曲、8曲がタイアップ作品ながら、寄せ集め感は一切ない。2020年以前の曲も違和感なく馴染んでいる。内向的な作品たちが時代の流れと図らずもマッチした、と考えるほうが正しいかもしれない。

通して再生したときに、まるで初めて聴くかのような新鮮さと表現される世界観がアルバムとして出すことの意義を改めて実感させてくれる。

 

全体的に連綿と続く流れがあるが、特に一曲目「BADモード」から三曲目「One Last Kiss」にかけて、緩急をつけながら想いのはじまりから終わりまでを歌い上げる一つの壮大な物語として聴こえる。特に「BADモード」は幕開けに相応しい、明るいサウンドとやや早いテンポが身体を揺らしてくれる。しかし華やかなホーンセクションと色気のあるギター達とは裏腹に、どこか影のある歌唱と時勢を感じさせるワードがアルバムの方向性を予感させる。

この三曲で構成される出会いから別れ、それも決して成就しないというストーリーは、アルバム全体に流れる諦めの一つを表現している。

前半の雄大な流れから変容し、8曲目「Find Love」からラストに向けてビートが強くなり、波打つように進んでいく。ともすれば流れの速さに振り落とされそうな瞬間すらある。

12分弱に及ぶ最終曲「Somewhere Near Marseillesーマルセイユ辺りー」はミニマルな作りで意表を突かれる。それまでの曲の、物語を歌い上げる歌詞とは異なり、LINEのちょっとしたメッセージくらいしかない情報量で構成されている。リピートされるフレーズが心地よい響きとなり引き込まれていく。

諦めはあるが絶望はしていない

今にはじまったことではないが、諦めるというワードには逃げる、投げ捨てるなどの意味が内包されている故、非常にネガティブに受け止められる。しかし、この作品にはそのような失望感、絶望感、あるいは投げやりな思いはなく、現状にうんざりして自分のことを考えているような雰囲気がある。

ありのままを受け止めた、今を生き抜く人々までも描いている作品だ。鮮やかな応援歌ではなくても、心に響いてくることだろう。

もう一本の仲間たち

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※本エントリはマンドローネ Advent Calendar 2021 - Adventar の13日目の記事です

 

三段式寝台と申します。ハンドルネームの通り、普段は撮り鉄をしたり鉄道ニューズを見ては騒ぐのTwitterアカウントですが、実はマンドリンオーケストラでベースを弾いております。
ローネとは切っても切れない関係のベース。繋がりが生まれ、共に戦った高校マンドリン部の思い出をお話しします。なお、ローネへの考え方は当時の記憶をもとに記載しています。

(写真は定演リハ中の後輩くん)

 

遭遇

静岡市内の高校に入学。部活の見学でマンドリン部を訪問しました。年の離れた兄がかつて所属していて、大阪は森ノ宮のホールまで演奏を聴きに行った記憶が残っていたため入学前から気になっていました。
練習場でまず見たのは、希望していたコントラバスと、その隣にいた巨大なマンドリンでした。比較的馴染みのあったマンドリンオーケストラのなかで見覚えのない楽器がマンドローネでした。楽器の下から棒が生えてる……なんだあれ?

 

合流

演奏の迫力と曲のかっこよさで大きな衝撃を受けた定期演奏会。そのあとは迷うことなく入部届を提出しました。幸いにも念願のベースパートへ入ることもできました。
ローネについて、この楽器は学校に1本しかないこと、ベースパートとして練習していること、全国でも珍しい楽器であること、特に高校では全国大会出場校でもほぼいないことなどを教えてくれました。
全国大会が終わり、代替わりと共にローネと合流。7月の代替わりから11月の県大会までは先輩がローネを弾いていました。ベースの先輩もいましたが、もう一人先輩がいることや自分の拙い演奏をカバーしてくれるのが心強かったです。

ちなみに、当時のローネ担当は県大会が終わった1年生の11月から、翌年11月の県大会までの所属期間となっていました。

 

共闘

県大会が終わり、奏者が同期へと変わりました。奏者がなかなか決まらず話し合いは紛糾し、その末にギターパートからお迎えすることになりました。
彼はそんなゴタゴタを引きずる素振りは見せずにいてくれたことに救われました。かなりの早さでトレモロを習得し、ギター出身ということを感じさせずに戦力となってくれました。3か月後の東海大会で演奏したアマデイ「吟遊詩人」ではよく飛ぶ音で存在感を示してくれました。

 

交代

定期演奏会、文化祭とベースパートで難曲を次々と乗り越えていきました。
この間に地元の演奏会、東京の演奏会でローネを聴く機会がありました。さらに東海大会では2校しかないはずのローネがもう1校出ていて同期とざわついたりしました。
高校からマンドリンオーケストラに関わっている人間としてはローネに触れる機会が多いほうだったのかなと思います。

そして吹田の全国大会を終えて代替わりし、自分はベースパートのパートリーダーとなりました。

 

指導

ベースだけでなく、ローネも見なければならないパートリーダー。あれこれ悩むのは楽しかったものの、今思えばコントラバス奏者がマンドリン系の指導をするのは負荷が高かったかなと。
演奏では音の立ち上がりが遅いベースをサポートしてくれる役割、セロとベースの音域差を埋めてくれる役割、ベースパート全体でピッチを安定させてくれる役割に支えられていました。

 

パートのまとめ方がちょっと分かってたきた頃にローネの奏者が交代し、ドラ出身の後輩となりました。トレモロは申し分なしでしたが、最初は何を教えれば良いか分からず、セロのトップにパート練を手伝ってもらいました。
ローネにベースの補助的な役割しか与えられないことに疑問を抱くようになり、どうすれば存在感を引き立たせるか、ベースやオケと調和できるかを四六時中考えていました。

せっかくなのでTwitterの過去ログを見てみたら、当時は音の広がり方(トレモロ)を重視していたようでした。刻みとか強い音を求めてた気がしましたが、どこかで記憶が汚染されてる……あれ?

 

引退

引退の全国大会で弾いたのはアマデイ「中世の放浪学生」。ベースはバランスが難しい曲でしたが、ローネがいることで音の厚みを増すことに成功したかなと思います。
特に音の重みが求められない場面では、ベースは恐る恐る弾かざるを得ませんでした。どうしても滑走した音になる中でローネが芯のある単音を出してくれるのは大変頼もしかったです。
全国大会は結果を出せず、悔いが残ってしまいました。しかしその悔しさがマンドリンオケで弾き続けるきっかけとなりました。多くのローネ奏者さん達と出会い、共に演奏することになったのはまた別のお話……。

 

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いざ書き出してみるとあやふやな記憶の整理ができ、楽しかったです。Twitterの検索コマンドも役に立ち、痛いツイートや縁遠くなってしまった友人が出てきて胸が苦しくなりましたが、当時のリアルな呟きは大変参考になりました。ローネは結構悩みながら向き合っていた痕跡が出てきてちょっと驚きました。

ここ数年、マンドローネと一緒に弾く機会がなく、少し寂しいです。またあのワイルドな音の隣でベースを弾きたいなと思っております。

クリスマスの憧れは、忘れなくても良い。Jamie Cullum「Turn On The Lights」

Turn On The Lights

Turn On The Lights

Jamie Cullum - Turn On The Lights - YouTube
小さな頃、クリスマスが大好きだった。プレゼントが貰えることの嬉しさはもちろんだが、街が光り輝き、鈴の音色が華やかな歌が流れ、12月24日に向けた高揚感が愛おしかった。

「小さな頃」とは言ったが、実は今もさほど変わりはない。9月ごろにはスタバの新作とイルミネーションの点灯が待ち遠しくなる気の早さだ。

 

疫病が蔓延する2020年、クリスマスもまた例年通りとはいかなかった。不自由さを感じながら何とか楽しもうとしたが、気がつけば12月25日になっていた。物足りなさを感じながらマックで一息ついていると、軽快なクリスマスソングが流れてきた。ジェイミー・カラムの「Turn On The Lights」。自分の端末で改めて聴いてみると、素晴らしいプレゼントが再生された。

クラシックな響きが織りなす冬の景色

サウンドは冬の朝みたいに張りつめた空気感のあるストリングス、暖炉みたいな暖かみのある管楽器が中心となっている。そこにジャズの軽快さを取り入れたピアノと、パーカッションが加わる。特にこの二つが加わることでビート感がグッと増す。ポップな曲でありながら、クラシックの深みが風景のイメージを広げている。

冷たさと暖かさが折り重なったところで時おり入る鐘の音がホリデーシーズンの街並みを、グロッケンのこまやかさが輝く装飾を想起させる。冬のイメージを絶妙に配置して音で表現している。

原風景と憧れはいつまでも残る

歌詞はクリスマスの風景を表現している。トナカイや靴下、雪だるまが登場するのは誰もが思い描くクリスマスそのものだ。

しかし童謡の世界と大きく異なるのは、その距離感だ。どこか俯瞰している、あるいは思い出を数えるような視点で歌っているのだ。けれど諦めているわけではなく、むしろ強い憧れを抱いているように感じる。

Another Christmas is around the corner

And I can feel us, darling, getting closer

It's coming down the road,and stopping it now 

Stopping it now is impossible

クリスマスの高揚感、そしてそれに併せてやってくる人たちを想う一節。原風景とは異なる世界にいるかもしれないが、愛おしいものを待っていることに変わりはない。

輝きの持つ力は

曲名であり、かつ何度も歌われる“Turn on the lights"という一節。華やかなイルミネーションも、街や家の灯りも思い起こすが、どちらでも正解だろう。

色温度の高さが安らぎを与えるのか、灯す人たちの気持ちが伝わっているのか、どちらにせよこの季節の灯りは温度とは異なる温もりを持っているように感じる。その力を表現する一節であるように思う。

 

曲のラスト、調が変わり音がより伸びやかになる。音の広がり方は空から街の灯りを見ているようでもある。切なさは感じず、憧れの気持ちを満たしてくれるように曲が終わる。壮大なドラマはなくても大切に過ごしたい季節であることを強く感じさせる。

 

 

余裕のないまま流れ去った今年のクリスマス。多くの灯りを眺めながら、穏やかに過ごすクリスマスが再びやってくることを心から願っている。

歩み続けたことで得た包容力。BUMP OF CHICKEN「aurora arc」

 

 

どういうわけか、アルバムが出ると聞いても受け取り方が分からなかった。

バンプは、あまりにも大きくなりずっと戸惑っていた。初期〜中期のバンプと違うから聴かないとかそんな野暮な話ではなく、むしろ新曲は着実に進化していて感心していた。けれどもその大きさ故に直視が出来ず、俯瞰するようになっていた。

 

そんな微妙な感じで迎えた発売日。ライブラリに追加する瞬間に、昔のような高揚感をやっと思い出した。

一曲目から三曲目を聴いたとき、懐かしくて嬉しい感じ、温もりと少しの冷たさ、その他様々な気持ちを思い出した。自分の血肉となってしまったバンプは未だ存在し、興味を失いかけてた自分をも包み込んでくれた。

 

オーロラの音

「オーロラ」という単語をみたときに流れる音楽。クリアで、少しキラキラして、エコーがどこまでも伸びていくようなサウンド。なぜそんなイメージになったかは分からないが、1曲目「aurora ark」と3曲目「Aurora」ではそのイメージにぴったりとハマる音が流れる。

 


BUMP OF CHICKEN「Aurora」

「Aurora」で頻出する「クレヨン」という固有名詞が、この曲の視点をグッと下げてくれている。日本人には(というか全人類の99%くらいには)縁がないオーロラを、遠くにある神秘的なものから自分で描くことで手に届くものであるように感じさせる。本物を見に行くための物語なのかな、とも思っている。

 

思い出の覗き穴


BUMP OF CHICKEN「記念撮影」リリックビデオ

4曲目「記念撮影」の、少しザラザラとした言葉の質感は少しやられてしまう。音楽はややクリアで輪郭がはっきりしているのに、歌詞は高感度のフィルムのようだ。良い思い出だけでなく、悪い思い出にも入り込むような情景描写で正直つらい。にも関わらず何度も聴いてしまうし、アルバム内でも特に好きだったりする。歌詞の起承転結で救いがやや少ないのが等身大な印象で、リアリティを補強している。

 

5曲目「ジャングルジム」は、一番最初は聴き流してしまったが、後日改めて聴いて心底驚いた。藤くんが時おり見せる凄まじい切れ味を、アコギ一本で示してきた。「記念撮影」が思い出の傷口に塩を塗るのに対し、「ジャングルジム」では今の自分に冷や水を浴びせされているようだ。

 


BUMP OF CHICKEN「リボン」

6曲目「リボン」。ファンサービスと言えばそれまでだが、今までの物語を振り返り、認めてくれるこの一曲の意味、意義は大きい。出会って、ずっと聴き続けてきた人たちも自分たちの過去も決して忘れずに持っていってくれる決意表明に心を撃たれた。

 

現在地からの温もりと愛

「アンサー」はMVの印象がどうしても強すぎるけれど(「三月のライオン」いいよね)、歌詞のストレートさと熱量は作品中でも抜きん出ている。実直なメッセージで聴き手の手首を掴んで引っ張ってくれるような世界観は心地良い。

 

アルバム後半の程よい位置に配置された「Spica」は小さな曲だが、優しさや温もりを感じさせる。サウンドも面白く、ピカピカしていがらどことなくレトロなエフェクトが入ってきて、少し前の世界から届いたようなイメージを想起させてくれる。

最後の『いってきます』から、「新世界」に繋がる流れはややベタかもしれないけど、しっかりとハートを掴んでいった。

 

今作のリード楽曲と言って差し支えない、「新世界」。こんなストレートに『アイラブユー』なんて言うなんて…しかもただのI love you.じゃなくて『ベイビーアイラブユーだぜ』って。

バンプ楽曲における二人称は恋人っぽいが、明確に示していないのが特徴であると思っているのだが、「新世界」ではそれをハッキリと示している。それがとても新鮮だし、ここまで思い切った曲が出てくるとは思いもしなかった。それをとてもポップなサウンドで歌い上げるのだ。シングルで出てきたら「バンプ、どうした…」となりかねない…というか絶対なる曲だが、アルバムに取り入れることで世界観を象徴する楽曲として提示されている。やられた。

でもポップなバンプもいいね。『ベイビーアイラブユーだぜ』って26歳にもなって口ずさんじゃう。

 

バンプの真骨頂は隠しトラッ…、アルバムの最後の曲にあると思う。

「流れ星の正体」は、そんなイメージを裏切らない楽曲だった。距離や時間を示し、それを超えてくれるものの存在と正体を優しく示してくれる。

 


BUMP OF CHICKEN「流れ星の正体」

最後の大サビの歌詞。俯瞰していた自分をも見つけてくれたようだ。時間なんて関係ないと歌ってくれる。いつの間にこんな包容力のあるバンドになっていたのだろう。

 

揺るぎない童話的な言葉たち

久しぶりに聴いたバンプで安心したのは、独特な言葉たちのおかげだろ。

例えば最新の涙が いきなり隣で流れたとしても

(ジャングルジム)

絶望の最果て 希望の底

(シリウス)

頭良くないけれど 天才なのかもしれないよ

(新世界)

比喩表現としても、なかなか繋がらないワード同士を面白く繋げるセンスは健在である。一見いびつな組み合わせは、これらに続く歌詞で補完されることも多く、耳を傾けるきっかけにもなる。この効果的な手法は今後もぶれずに続けて欲しいと願う。

 

 

サウンドで言えば、前作や前々作のほうが意欲的であった感じは否めない。ただ、メッセージ性であるとか、楽曲のMVであるとか、一曲一曲が大作過ぎてアルバムに落とし込むのは非常に困難であっただろう。そんな状況ではあったがコンセプトの力も得て、丁寧にまとまっていた。一通り聴き終わったあとの充足感は、きちんとアルバムのそれであった。

 

東京が滅んだら、音楽の首都は札幌に移ればいい。サカナクション「834.194」

 

ストーリーの時代の申し子になってしまった

 2013年ごろに使われていた(ような)「付加価値」という概念は、今ではそれ自体に付加価値を加えて「ストーリー」という概念で消費をされるようになった。

札幌と東京、直線距離で800km以上ある二つの大都市で感じたことー札幌に対する郷愁と東京で向かい合った複雑な想いーをコンセプトに、バンドの軌跡を示したような2枚組。ストーリー性を持たせたことを包み隠さず、むしろ一層押し出した作品が2019年に出たことは偶然だろうか。

 望郷からはじまる東京の音

シングルでリリースされる楽曲はダサい部分が5%くらい必ずある。これはJ-POPであることを示すためのアレンジであると認識していたが、そろそろ(と言って5年以上経ったが)アルバム曲の洗練された音を聴きたくて仕方なかった。その願望を1枚目1曲目「忘れられないの」がいきなり叶えてくれた。

願いを叶えただけでなく、アルバムの提示する価値観、ともすればバンドが最初から語っている価値観を1曲目にして80%以上提示してきた。この価値観は、後半そして終盤で更に展開される。

続いて「マッチとピーナッツ」は、懐かしいJ-POPの匂いがするサウンドにのせてオルタナティブな歌がテンポ良く流れる。すごく懐かしい感じがするんだけど、これが何なのかは未だ分からない…。

1枚目3曲目からは「陽炎」、「多分、風。」、「新宝島」と、アップチューンのシングル曲が続く。ベスト盤も尻尾を巻いて逃げ出すような並びであるが、不思議とおさまりが良い。絶妙なバランスで成り立っているが、1枚目の世界観を表現するためにはこの並びでなければならないと気付くのは2枚目に入ってからだ。

ダサい部分を5%どころか50%ぐらい出してきてずっこけてしまったのは「モス」。いや、ほんまにいつの時代の曲やねん、と苦笑いしていた。歌詞はその古風なサウンドと対照的に、バンドの最近の(NFを始めた頃からだろうか)価値観を示してくる。結構計算高いな。

「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」、「ユリイカ(Shotaro Aoyama Remix)」、「セプテンバー ー東京 versionー」は組曲のように連なっている。東京で感じてきたことがヒリヒリと肌を刺す。決して明るいわけでも希望があるわけでもない。かと言って、絶望して自暴自棄になっているのとは違う。

あの土地にいるからこそ洗練された音楽が、少しずつ故郷へと戻っていく。得たものを捨てることなく、故郷を出た頃とは違う持ち物を抱えながら。そのような光景が浮かび、胸が苦しくなる。

 

 東京からはじまる、望郷の音

2枚目1曲目の「グッドバイ」。安直な発想では東京と別れを告げる、といったところだろうか。それは雑だとしても、ここがアルバムの分水嶺となり、シングル曲の並びも別れや苦しみ、望郷などやや後ろ向きなテーマのものが並ぶ。歌詞カードのアートワークがガラッと変わるのも印象的だ。

「蓮の花」、「ユリイカ」とこちらもシングル曲が並ぶが、1枚目の三連続とは全く意味合いが違う。感じられたのは、迷いや戸惑いだった。

「ナイロンの糸」は、もっとはっきりと迷い、戸惑いを示す。それに加え、後悔も歌う。中盤で入ってくる管の音が船の汽笛のように寂しく響く。

蝉時雨をバックに歌われる「茶柱」は、この作品での底だろう。もはや後悔しか歌われず、それを縁起物であるはずの茶柱をテーマにしているのだ。

 

底まで落ちたらあとは上がるしかない。「ワンダーランド」は明るいサウンドが程よいビートで進行していく。バンドサウンドを前面に出した曲は久しぶりで、初期〜中期の作風を彷彿させる。数曲ぶりに前向きな歌詞が歌われる。が、それも最後にはノイズに飲み込まれ、ひと時の希望だったと感じさせる。

「さよならはエモーション」は、前曲で示された世界から現実に戻ってきた感覚が強く、何度も聴いたはずの曲なのに全く異なって聴こえる。胸に迫るものがより強い。

 

アルバムの核となるインスト曲「834.194」。どうジャンルをつければいいか分からないが、ジャケットのイメージと結びつくサウンド、音のうねりを包むように優しく重なり合う様々な音。変化に富みながら時おり覗かせるある音が、どういうわけか距離や時間などを想起させる。この曲はタイムマシンであり、乗り物なのかもしれない。

 

アルバムのラストトラック「セプテンバー ー札幌 versionー」。

東京versionと同じ曲なのに、憑き物が落ちたかのように、クリアに聞こえてくる。楽器が少ないとか、マスタリングが違うとかでは(多分)ないのに、東京のそれより丁寧に、はっきり歌われているように聴こえる。

 

音は確かに変わった。けれど言葉の根底にあるものは変わることがなかった。そんな物語を二つの「セプテンバー」が示している。800km以上の距離と、10年以上の時を経ても。

 ストーリーを認め、誘(いざな)ってくれるアルバム

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カッコ悪い名前のバンドが出てきたなと思ったのが10年前。

地元を離れる直前、mixiの日記に「ルーキー」の歌詞を引用したのは8年前。

RSRのステージでゴリゴリのアレンジをしてオーディエンスを置いてけぼりにした光景を見たのが5年前。

NFに行き、ヘロヘロになってリキッドルームを出た時に未だ夜が続いてるのが歌のそれと一緒だなと感動したのが2年前。

 

自分のストーリーにも重ねたくなるように、それも(オールオッケーとは言ってくれないだろうが)黙認してくれるようなコンセプト。寄り添ってはくれないが、寄ってくる者は拒まない。過去を直視させた上で、それらを肯定してくれるような優しさを感じた。

 

 

6年間、待った甲斐があった。

GRAPEVINE「イデアの水槽」

 

イデアの水槽

イデアの水槽

 邦楽オルタナティブロックにおけるマイルストーンと勝手に位置付けている。

鬱々とした感情、垣間見える生活、飢え、些細なものへの苛立ち。

アルバムを通して聴いたあとに浮かんだイメージ達だ。日常のフラストレーションと喜びが絶妙に組み合わさっている。サウンドの重みがそれらを引き立てる。

 

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普遍的な音の楽しみと喜び くるり「ソングライン」

 

 この作品は、万人ウケするようなイカした作品ではないと思っている。キラーチューンがあるわけでもなく、大きなタイアップもない。ミュージシャンとのコラボもないし、インパクトは薄い作品だ。

では駄作かと言えば、そんなことはない。(実際には難産だったとしても)気の合う仲間で作ったような気軽な雰囲気、その裏ではロジカルに組み立てられたメロディが流れる。音の楽しみ、歌の楽しみを存分に感じられ、つくりの丁寧さが楽しさの説得力を増している。

前作「THE PIRE」のサウンドは実験的とでも言うべきか、異質な音を含む曲が連なる作品だった。これでもかというほどに様々な楽器を用いて、聴き手を混乱させる。一方でポップな楽曲も多く上手くバランスが取れていて、全体を通してエンタメ性の強い作品だった。それと比べると今作は作品の性質が大きく異なっているため、面食らってしまうのは致し方ないだろう。

歌を活かす

アルバムタイトルにソングが入る通り、今作では歌に注力した作品になっている。

日本語詞の味わいは、はっぴいえんどのそれを彷彿とさせる。優しい言葉で描き出す情景、人の温もりに触れた瞬間の感情、別れの直前の寂しさと再会への祈り。書ききれないほどのシーンを歌い上げる。近年の作品に見られる傾向だが、強い言葉を使っていないことにも気付く。歌が心地よく聴こえるのも、これが理由の一つであろう。

時代の花を すべからく集めて

残り僅かと 急ぐ景色を尻目に

(風は野を越え)

急行の止まらない駅でずっと

この道は 桜散るのもの早く

昼下がり 春霞 蜃気楼

未だ逢えぬ いつからか 涙の数かぞえて

(春を待つ)

いつの間にか流星が 願いごとを叶えて

あの時はありがとうと 素直に言えるまで

(忘れないように)

歌のための音

これらの歌を支えるのは、前衛さを今回はやや控えめにした音楽である。時期としては、交響曲第1番に取り組んだ後になる。楽器の使い方が全く変わっている。今までがダメというわけでは全くないが、一つ一つの音にこれまで以上に意味を持つようになり、音数としては多くないはずだが非常に豊かな音楽になっている。管弦楽オケで弾く交響曲のようなオーケストレーションをバンドのアンサンブルまできちんと落とし込んでいる。楽器的にはオケと関連性を見出せないように思うギターの音にも、こだわりが溢れている。 

 

唯一、これらの例外と言える、避けては通れない楽曲が「Tokyo OP」だ。

くるり - Tokyo OP /Quruli - Tokyo OP - YouTube

MV難しすぎ…

前々作「坩堝の電圧」、前作「THE PIRE」の流れを組むファンキーさでかっ飛ばしているインスト曲。

ギターのグリッサンド音まで聴き込んでしまう濃厚な作りや、強烈なビートに乗せて粘り強く展開されるソロ回し、人を食ったようなオルガンの音と聴きどころが存分に散りばめられている。

謡曲のオムニバス的なアルバム

ロックバンドのアルバムというよりも、普遍的な歌謡曲であり、ちょっとしたオムニバスアルバムという印象である。誰が聴いても心地の良い、そして意味のある作品だ。片方ができているものは非常に多いが、両方を達成するのは貴重だと思われる。一回聴いただけで「駄作だ」と決めつけず、何度も聴いていただきたい。

 

何となくだけど、以前より歌詞に鉄道出てくる割合がめちゃ増えてる気がする。

所詮 君は 独りぼっちじゃないでしょう

生きて 死ねば それで終わりじゃないでしょう

(ソングライン)

「ソングライン」で、ラヴェルの「ボレロ」のフレーズが入るところがお気に入り。

 

音楽の喜び、歌の喜びに溢れた一作。