ロキノン爺の逆襲

音楽のことをつらつらと。主にアルバム、曲のレビュー

地続きの音楽を示す スピッツ「1987→」

 

スピッツが結成30周年である。自分が生まれる前からはじまったバンドが未だに最前線で活躍している。心から祝福する。

 

■30年をつなぐ記念碑

近年の作品を振り返ると、ここまでのロックチューンは出ていなかったので新鮮である。そして、最初期のスピッツを知っている人であれば、とても懐かしい気持ちになるだろう。かく言う自分も懐かしくなった(デビュー当時は生まれていないが)。

単に昔の作風をなぞるだけでなく、サビではきちんとスピッツらしいメロディとキャッチ―な歌詞を奏でるのがなんともにくい演出である。

自分達の道のりを振り返りながら描かれた曲というのも珍しい。歩みを振り返りつつもいやらしさを感じさせない、謙虚な歌詞も非常に好印象だ。それでいながら感傷に浸ることを許さず、過去に甘んじる姿勢を一切見せていない。

 

最初期のスピッツを形容する言葉として用いられる「ビートパンク」を、見事に再提示した一曲である。

 

■バンドの生きざま

ヒーローを引き立てる役さ きっとザコキャラのまんまだろう

それは今も続いてる 泥にまみれても

美しすぎる君の ハートを汚してる

 

「ロビンソン」や「チェリー」などの、日本のポップ史にまで歴史を刻んだ名曲を生み出してきたにも関わらず、非常に謙虚な歌詞である。一方でタダでは決して転ばないという精神も垣間見える。そして、尋常ではない苦しい道のりだったことも。

 

スピッツの生き様はともすればのんびりしているように見える。シングル曲だけを聴いていると、やさしそうなイメージだ。

本当はロックンロールを徹底的に追求をしているが埋もれてしまっている(もしかしたら敢えて埋めているのかもしれない)。そんなイメージでこのベストアルバムを聴いた人は、3分にも満たないこの曲でぜひびっくりしていただきたい。実は今もこんなロックンロールを鳴らしてしまう力を秘めている怪物であるということを。

 

同年代のバンドと比較すると、90年代のヒット以降は華やかさに欠け、地味なイメージである。最近はインタビュー記事を読んでいないので分からないが、ヒットとその後のギャップに苦しんでいた時期があったことだろう。

しかし、歩みを止めることなくずっと進んできた。ポップスに媚び過ぎず、独りよがりにもなっていない。コツコツと音楽を続けてきた。ザコキャラと謙遜しているが、30年間ずっと聴き手のハートを汚してる。

 

 

スピッツは今後も、大きく変わらずに曲を作り、ライブをしていくと思っている。この節目にも媚び過ぎず、淡々とその道を歩んでいくと信じている。

COLDPLAY A HEAD FULL OF DREAMS TOUR at Tokyo(2017/4/19)

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14歳の頃から聴いていたイギリスのロックバンドが目の前に居る。極東の小さな島国で観れた。どれだけ幸せなことだろうか。

 

東京ドームに着くと外国人の姿が多く、成田空港の国際線ターミナルにでも迷いこんだかと思った。ビールとおつまみを買いこんでのんびりと開演を待つ姿は日本のライブ会場よりちょっと余裕があって素敵だった。

 

前座はRADWIMPS。この発表を聞いたときはただでさえ取りづらいチケットが余計取りづらくなると絶望したが、取れてしまえばこっちのもの、やはり中学生の頃から聴いていたロックバンドを生で聴けるので非常にお得な気分だった。

 

 

やはり「君の名は。」効果で、映画からの曲が盛り上がっていた。「人間開花」を予習せずに来たが、 古い曲も多めで一安心だった。

おしゃかしゃま」でのソロ回しでは、ツインドラムの変則的な編成(最近はそれが定番なのかな?)を存分に活かしたパフォーマンスが会場を圧倒。興味無さげであった観客をも釘付けにしていた。

演奏は40分弱で終了。「スパークル」「おしゃかしゃま」「DADA」と特に好きな曲を聴けたので十分満足だったが、「前前前世」がなかったのが予想外だった。物足りなさを感じた人もちらほら見かけた。

会場を白けさせるわけにはいかない、この大役を担える日本のバンドは他に浮かばない。キャリアと実力、近年の人気度を考えれば、なんだかんだ言いつつもこの人選は適切だったのだと感じた。

 

 20分ほどのインターバルの後、COLDPLAYの演奏がはじまる。気がつけば会場は満席。左を見るとChineseのカップル、右はヨーロッパ系の白人、目の前にはアメリカ系の大きなおっちゃん。アウェー感を感じる不思議な光景だった。

SEが終わり、世界的なツアーであることを示した映像が終わると、一曲目「ア・ヘッド・フル・オブ・ドリーム」が始まった。初めてやる場所であることを全く感じさせない、堂々と、そして伸びやかな演奏。舞い上がる紙吹雪と光り輝く会場、手元のザイロバンドが光り出し客席が一気に浮かび上がる。一体感と多幸感に包まれたショーへと一瞬のうちに引き込まれた。

手元のバンドが黄色に変わると、「イエロー」がはじまった。隣のChineseの二人がずっと熱唱していて、終始この調子だとちょっとしんどいかな…と苦笑いしつつも、個人的ぬは元々それほど好きではなかったこの名曲を予想以上に楽しむことができた(ちなみに隣の二人はイエローが特別大好きなようで、その後は大熱唱することはなかった)。

 

MCを挟み、「ウォーターフォール~一粒の涙は滝のごとく」や「パラダイス」とアップテンポな曲が続いた後、「オールウェイズ・イン・マイ・ヘッド」や「マジック」など、彼らのキャリアの中でも特に暗い作品である「ゴースト・ストーリーズ」の収録曲を演奏した。華やかさがウリであるツアーのなかでもきちんと演奏されたことが嬉しかった。下手をすれば会場の雰囲気を急降下させてしまう曲であるが、丁寧な演奏と演出が功を奏し、違和感なく披露されていた。

 

ステージの場所を変えたピアノ弾き語りによる「エバーグロウ」、PVの世界観を映像と炎で彩った「ヒム・フォー・ザ・ウィークエンド」など、絶妙な緩急を付けつつライブは進行していった。特に「ヒム・フォー〜」での躍動感あるパフォーマンスは目に焼き付き、徐々にEDMへと変化していった意外性と一瞬にして会場をクラブへと変えたレーザーの演出にはノックアウトされてしまった。

 

「フィックス・ユー」で一旦落ち着いてから、「美しき生命」で会場が歓声とこの日一番の大合唱に包まれる。いつまでも続いて欲しい思いと喜びが冷めないまま続けて「アドベンチャー・オブ・ア・ライフタイム」に繋がった。カラフルな映像と響き渡るリフという演出の洪水に加え、クリスがコールアンドレスポンスを求め、ドーム全体にアルバムのジャケットの色彩が描かれたのような瞬間であった。

 

この後、非常に嬉しい出来事があった。

何曲か演奏した後、会場が一旦暗くなり、メンバーがはけていった直後、目の前にいたおっちゃんが英語で「あっちにステージがあるよ」と比較的すぐ先にある通路の端を指した。真っ暗で何も見えないが、背中を押されるまま端まで行ってみた。目が慣れてきた頃、10mほど先に機材があることを確認できた。それから間を置かずにメンバーが登場。図らずも目と鼻の先で観ることができたのである。本当は撮らないつもりだった写真も思わず撮ってしまった。ちょっとしたコンサート会場のような距離感で、「ティル・キングダム・カム」や新曲を含む3曲を演奏していった。

 

再びメインステージに戻り、近年の彼らのキラーチューンである「ア・スカイ・フル・オブ・スターズ」を披露。弾けるような笑顔で歌うクリスを中心に、会場の全てが星のように輝いた瞬間だった。

最後は「アップ・アンド・アップ」を丁寧に歌い上げ、ステージ上に国旗とフラッグを残して去っていった。

 

会場のスケール感に決して臆することのない演奏力と、エンターテイメント性を完璧にまで高めた演出。世界中をまわってきたことによって洗練されたであろうこの東京公演は、文句なしの名演であった。スケールの差に圧倒され、欠点を見つける余裕はなかった。そして、残りのヨーロッパツアーはさらなる高みへと到達すること(自分の頭では想像できない高さである!!)を予感させた。

 

 東京ドームを出たあと、誰かが「美しき生命」のコーラスを歌っているな、と聴いていた。しかしそれは水道橋の駅に向かう途中まで聞こえたことで、自分の空耳だと気付いた。全身に残る余韻が、どこまでも心地良かった。

 

 

 

 

 

魂と光の叫びを聴け SPECIAL OTHERS「マイルストーン」

 

マイルストーン

マイルストーン

 

スペアザとボーカリストとのコラボアルバム「SPECIAL OTHERSⅡ」がリリースされた。優れたメロディに、力のあるボーカリストが重なって音楽を紡いだ前作「SPECIAL OTHERS」を更にレベルアップさせたということで期待が高まった。先行リリースされた、斉藤和義との「ザッチュノーザ」も良い完成度だった。

参加アーティストの世代も広めで、最近のバンドに追いつけていない自分には刺激的だった。在日ファンクはともかくフォーリミは聴いたことなかったから新鮮だった。

 

 ■今回だけ、異論は認めない。

9mmとバックホーンは青春だったと言っていいほど大好きで聴き込んだバンドなので、それだけで非常に熱いコラボでヤバかったです(語彙力低下)。

9mmは「The World E.P.」から聴いているため、いつの間にか頼もしいバンドになっていて親戚のおじさんの気持ち。

バックホーンは、御多分に洩れず(?)古いほうが好みだが、未だに新譜はチェックして時たま心にヒットするのでやはり隅に置いておくことはできない存在。曲の当たり外れは正直大きくなってしまったが、演奏のレベルが向上しているのは嬉しいことだ。

 

■距離の近さ?

歌われている言葉がこの二人らしいのも好印象。どっちのバンドの曲と言っても十分通用しそうだ。

 

歌詞もしかることながら、聴いていると、二人の声の判別ができない瞬間があった。こんなに長く聴いている2バンドであるにも関わらず、だ。

キャリアはバックホーンのほうが長いが、昔から対バンをしていることから距離の近さへの自覚はありそうだ。歌詞のどこか闇を抱えた世界観、演奏の重厚さ、声質に共通点を感じる。

「異色のコラボ」なんという代名詞はあるが、この二人は似た者同士のコラボだ。かえってそういうものは見かけない気がする。ましてや音源として発表されるのは…ありがたいことだ。

 

■静かなる闘志

とっても失礼なことを言うが、スペアザの演奏は9mmやバックホーンより上手い。それぞれのバンドが目指すものが違うためそういうことも野暮ではあるが。牽引力の強すぎるボーカル二人だが、スペアザとの演奏のバランスは絶妙だった。引っ張るという気迫が普段より大人しく、その分歌とアンサンブルへの意識が集中したことによって、バラード曲でもなかなか聴くことのできない静かなアツさが伝わって来た。

 

バックホーンに関しては、宇多田ヒカルのプロデュースで話題をかっさらった新曲「あなたが待っている」でも今回と同じ、歌への集中力が垣間見られた。昨年のツアー「月影のシンフォニー」と相待って、この一年は山田将司にとって音楽性の深みへの模索が一層進んだのだと思わせる。

 

■成熟期へと向けて

 思えば、最初期の9mmは流血ライヴで有名で、バックホーンは暗く重たい、死にたくなるバンドの代名詞だったのだが、どちらもキャリアを重ねて色々な意味で成長した。

昨年のライヴのMCで、山田将司が「先にも進まなきゃならないが、過去の曲も背負っていかなければならない」と語っていたのが印象的だった。背負うという表現が、自分達の生んだ曲の限界を悟っている重圧を表していて、切なくなった。

彼らは、再び苦しい時期に来ているのだろう。 同じ年代でも一抜けたバンドも見られ始めたなか、自分達はどう成熟していくべきか。葛藤も多いことだろうが、様々なものを取り込んでいく貪欲さが高まっている現状なら、最終的に良い方向へ進んでくれるだろう。

 BOOM BOOM SATELLITES「LAY YOUR HANDS ON ME」

LAY YOUR HANDS ON ME

LAY YOUR HANDS ON ME

 

思っていても、口にしてはいけないことは世の中にありふれている。

一昨年、アリーナ公演が発表された際、その「口にしてはいけないこと」を直感した。考えるよりも先に手が動き、気がつけば手元にチケットがあったと記憶している。

しかし、そのチケットを使うことはなかった。

 

 

 

アルバム「LAY YOUR HANDS ON ME」から感じたのは、交響曲のような壮大さと世界観が広がった作品ということである。それは収録曲が4曲であること、表題曲の緻密さ、洗練さが相まった結果である。

これまでのシリアスな展開が多い作風とは対照的な、伸びやかさを感じる。このような曲がないわけではなかったが、一日の景色の移り変わりを全身で表現し、それに音楽が追従し、高音域における広がりにこだわったのは特筆できるだろう。有り体に言えば、彼らの新境地といったところだ。

「kick it out」という発明から、ロックンロールでありながらダンスとエレクトロニックを追求し、最後にはEDMと異なる次元へと到達した。他のミュージシャンと異なる存在感を放ち続けていたこと、時代が変わっても埋没することはなかったのは、先進的とも取れるこの音楽性をストイックなまでに貫いたからに他ならないだろう。

BOOM BOOM SATELLITESがEDMであるか否かは、微妙なところだ。彼らが昨今のEDMの先駆けではなく、EDMの行きついたスタイルが偶然にも彼らのスタイルに近くなってしまったからだと感じられる。個人的には、ビートの重さや作風の幅広さから、EDMではなく、テクノでもなく、ロックンロールだと断言している。けれど、後年になれば、彼らの評価がEDMの枠組みのなかで語られる可能性はあり得る。

もしかしたら、この作品の賛美歌とも言えるようなサウンドやアルバムが交響曲のように4曲が一つの作品として大成していることを考えれば、評価は若干変わる気がする。

 

 

リリース直後に通して聴いてから、しばらく手に取る気にはなれなかった。最後の作品として、彼らの終着点として、あまりにも出来すぎている。教科書に載るような作曲家でもここまで完璧ではない。

 

もっと遠い未来で行きついて欲しかった。もっと狂わせるような音を聴きたかった。

 

それでも、再び向き合おうと思ったのは、「NARCOSIS」の最後の音を確かめようと思ったからだ。

外でこの曲を聴いていると、音楽が今立っている場所へと溶けていく。「もっと鳴らしてくれ」「行かないでくれ」と、まるで小説のワンシーンのように叫びたくなる。

最後のブレス。きっとこのあとに歌ってくれると思わず期待をしてしまう。何を歌ってくれるのか?どんなシャウトが響くのか?

もちろん、何も流れない。外で聴いていれば、周りの喧騒に飲まれ、室内にいれば静寂だけが残る。隠しトラックもアンコールもない。

 

死を目前とした作品は、どうしても意味深な捉え方をしてしまう。それが予期されたものでも、突然のことでも仕方がないことだ。けれども、あくまでそれは受け手が想像したこと、そうしなければ残された者は救われないことでもある。いかにフィルターをかけず、この作品と向き合えるかを考えていたが、無理だった。

 

そんな自分を救ってくれたのは、皮肉にもこの作品だった。非常に単純なことだが、曲が全て暗くないということ、これだけでとても救われた。ズキズキと痛むような傷を残さず、胸が締め付けられるような思いで作品が終わる。分かりやすい暗さ、辛さを出さなかったこと。それだけで聴き手は救われてしまった。 聴く前に感じた、作品と向き合う恐怖から救ってくれたのだ。

 

 

 

立ち止まる、振り返るために生きているわけではないことをこの4曲が教えてくれた。涙を拭いて、でも胸にはちょっと痛みを残して、前に進む。そうすれば、またどこかで会えるかもしれない。

名曲に阪急マルーンを添えて 「くるり的阪急京都線沿線再発見スタンプラリー」


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シン・ゴジラで書いたらPVが伸びて感動…。ありがとうございます。

 

 

さて、「元「京都の大学生」が語る、くるりと京都」というタイトルで下書きをしていた記事がありました。

それをぼちぼち進めようと思ったところで、こんなニュースが飛び込んできました。

 

 「くるり×阪急電鉄スタンプラリーで京都の魅力を再発見」(ナタリー)

 http://natalie.mu/music/news/201078

 

阪急電車くるりとは…!!自分のためだけにある企画なのではないかと思いました 笑

大学二回生まで、阪急電車でアルバイトをしていました。河原町駅から桂駅にかけてが管轄エリアで、朝晩の通勤客を相手していました。マイク放送もやったりしていました。

 

今回は、スタンプラリーで取り上げられている駅と楽曲をレビューしていきます。

 

■ 河原町×リバー

 河原町駅は鴨川のほとりにある、阪急京都本線の始発駅。と行っても駅は地下なので、川が見えるわけではありませんが。駅の改札口の目の前には高島屋か京都マルイ(元阪急百貨店)の出入口がある街の中心であります。

 

リバーは、バンジョーによるカントリー調のイントロが印象的な曲。詞にはちょっとした焦りと、それに対する諦めがぐるぐるする、一筋縄ではいかない情景を歌い上げています。「寂しくて 寂しくて 羽がもげそうさ」とあるように、にっちもさっちもいかない現状を嘆き悲しんでいます。メロディの明るさに耳を奪われますが、誰もが経験のあるどうしようもない状態、気持ちを少しでも打破しようとあえて軽やかに歌い上げようとしているように感じられます。

ポップでありブルースでもある、しかしブルース的でもあると様々な音楽性を含んだ一曲です。

 

■ 烏丸×京都の大学生

 烏丸駅は、京都駅前から御所のほうへ北に伸びる烏丸通と阪急の上を通る四条通との交差点、京都的に言えば「四条烏丸」の直下(厳密には違うけど…まぁ許して)にあります。四条烏丸周辺はオフィス街で、朝晩は通勤客の乗降が多いです。祇園祭宵山では山鉾への最寄りということもあり、山手線も真っ青な大混雑となります。

 

京都の大学生では、「四条烏丸西入ル」と歌われますが、これは四条烏丸の交差点を西に行ったブロックを指します。「鉾町生まれ」というのも、祇園祭で用いられている山鉾を維持管理している町内を鉾町と呼んでいます。

京都は大学が多く、町中に学生が溢れています。また、喫茶店、カフェも多いので意外とコーヒーが似合ったりもします。

イントロのピアノでは和風な曲が始まるかと見せかけ、住んでみないと分かりにくい京都の風景、それとパリへの憧憬を重ね合わせた、ちょっとマニアックな曲になっています。それだけに京都へ頻繁に行く人、住んでる人は思わずにやけてしまいます。

 

 

■ 大宮×地下鉄

 大宮は、埼玉県の大宮と異なり一文字目の「お」にアクセントがつきます。これを間違えると京都人からゴミを見るような目で見られるのでお気をつけください(大袈裟)

 

 地下鉄の曲名の由来は、西院ー大宮間が近畿初の地下線として開業したことでしょうか。

6分半に迫る大曲です。「今はどんでん返しの時代じゃない 見えない絶望」「心配事なくなった未来は 面倒な約束しなくなって」という詞が響きます。外の陽を見ることのない地下鉄になぞらえた閉塞感と、将来に対する暗い感情が漂います。

これらを「裏切るな俺大人になるな」の一言がとても強く象徴しています。実は地上にでない方が幸福なのかもしれない、と暗喩しています。

サウンドは、この時期らしいロックのサウンドです。歌詞と共に、ロックンロールの本質へアプローチを試みていることがよく分かります。

 

■ 西院×ラヴソング

 西院駅は、「さいいん」と読みます。バイト中によく「にしいん」と呼ばれてこちらが戸惑いました。

しかし、ややこしいのはこの駅で接続する路面電車嵐電(らんでん)の駅は同じ感じで「さい」と読みます。これは難しい…。

西院でバスに乗り換えると、熊野神社北野天満宮金閣寺まで比較的すぐに着けます。

 

くるりの数ある曲でも、この曲はとらえどころがなくて難しいです。正直、気持ち悪い曲です。歌詞はブルースで、メロディのねちっこさはプログレっぽく、不思議な感覚です。少なくとも、ポップとは対極にあるのは間違いないです。

途中で歌われる曲作りの風景に、メロディが乗っていないのは面白いところです。歌詞と音がシンクロせずに淡々と進行していくのがやはり独特です。

 

個人的には、終盤のSEで流れてくる阪急のホームの音がハイライトですが…そんなのは自分くらいだろうか 。

■ 桂×春風

 桂駅は、桂離宮への最寄り駅。桂川を渡ってから最初の駅で、京都の中心からは完全に外れた場所にあります。

嵐山線との連絡駅で、春秋の観光シーズンや五山の送り火では大混雑します。車庫もあり、昼間に行くと洗車している電車を間近に見れたりもします。

 

春風は名曲中の名曲ですね。曲名に相応しいあたたかなサウンドと、共に語りたくなるような歌い方。それでいてアウトロではちょっと攻めたピアノとギターが聴けます。ゆったりとしたサウンドでも密度が濃く、しっかり噛み合ったアンサンブルで隙がなくつくられています。

「遠く汽車の窓辺からは 春風も見えるでしょう」の一文は、随所にちりばめられた春のモチーフを昇華させています。はっぴいえんどから始まる日本語ロックの一つのアンサーとも言える名文です。

 

■ 東向日×チアノーゼ

 東向日駅は、自分の所属駅の管轄からは外れたてた上に周辺に目的地がなかったため縁遠い駅でした。強いて言えば、JRの向日町駅がちょっと近いので乗り換えで利用したくらいです。

いつの間にか激辛商店街なるものができていて、非常に興味をそそられたのですが行く機会がないまま関東へ越してしまいました。

 

この曲はなんといっても「夕暮れ前の東向日駅梅田方面行きのホームが好きだ 本当に好きだ」の歌詞にしびれます。

サウンドは好き放題掻き鳴らしています。パンク…というにはちょっと大人しいかもしれませんが、個人的にはかなりパンクだと思います。崩壊させると見せかけてきちんと仕組まれたフレーズや装飾はいやらしさも感じます。自己批判と多忙な日常に殺されかけた、生きている時代も忘れてしまったほどギリギリの感情を叫んでいます。チアノーゼという言葉は唇や皮膚が真っ青になってしまう状態を指しますが、この曲では確実に心が変色しています。

 

■ 長岡天神×ばらの花

 長岡天神駅は、長岡京市の中心に程近い駅です。駅前も栄えていて、特急停車駅になってからは京都、大阪双方へのアクセスも容易になりました。

個人的にも思い出深い場所で、駅から歩いて10分ほどにある長岡京記念文化会館には演奏会を聴きに行ったり、ステージで演奏したりと幾度となく訪れた場所です。

 

ばらの花が長岡天神の駅スタンプとなったときに思い浮かべたのは、長岡天満宮の前にある池の景色でした。

ふわふわしているようでいて、芯のあるリズムで安定感を出しています。「雨」や「夜」など、しんみりとした印象を与える詞をメロディが際立たせています。それに対して「旅」「バス」という言葉が、遠い場所への憧れを引き出してきます。一瞬目の前が開けたような気がしたけれど、すぐに寂しい現実へと引き戻してきます。

 

■ 大山崎×HOW TO GO

 大山崎駅は、京都府内で最も西にある駅です。ホームの目と鼻の先に府境があります。京都・大阪のベッドタウンでありながら、自然も豊かで過ごしやすそうな場所です。

 

 くるりの曲のなかでもこれだけ骨太な低音は貴重です。どっしりと構えることで自由に繰り出されるリフ、歌、泣いてるギター。どこかレトロなサウンドで「How to play the Guiter」と歌っています。それだけ弾いときながら問われても戸惑ってしまいますが、それが狙いでもあるのでしょう。詞に夏という単語が入っているせいか、強い日差しのようなギラギラした感じもしてきます。

サウンドとは関係ないですが、この曲はオリジナルアルバムでもベストアルバムでもラストトラックに選ばれることが多いことです。そして偶然なのか、このスタンプラリーでも最後のスタンプに位置付けられています。なんとなく曲名とマッチしていて個人的には興味深いところです。 

 

 

■CDにして欲しいチョイス

アルバム曲やカップリング曲が多く、なかなか玄人向けだなと感じていますが、通して聴くと意外にバランスが良く驚きました。これだけでアルバムとして通用するのではないかと思います。京都というコンセプトも面白いので、アジカンの「サーフ ブンガク カマクラ」みたいな感じでCDを発売して欲しいです。

もちろん、ジャケットは表裏ともに3300系を起用して…。

 

【ちょっとだけネタバレ注意】DNAに刻まれたビート 伊福部昭「宇宙大戦争マーチ」

 

シン・ゴジラ音楽集

シン・ゴジラ音楽集

 

 

シン・ゴジラ観てきました。最初はそれほど興味がなかったのですが、異常なまでの前評判の良さだったので興味を持ちました。でも考えてみればゴジラ庵野秀明、鉄道、そして伊福部昭って俺が楽しめないわけないんですよね。

 

■初代ゴジラへのリスペクトと追体験

映画のなかでは、初代を意識させる場面が、それも焼き直しではなくきちんと解釈した上でいくつも見られたのが好印象でした。

謎の巨大生物が表れたときの人々の戸惑い、圧倒的な大きさと力に対する恐怖と無力感が破綻なく描かれていました。ゴジラ映画は何本か見ましたが、はじめて恐いと感じました。初代を観た半世紀前の人たちはこういう恐さを感じたのではないかな、と図らずも追体験をすることになりました。

 

■随所に散りばめられた庵野ワールド

 観に行く前は、「エヴァの出てこないエヴァなんだろうな」と、あまりいい期待をしていませんでした。実際に見てみると、ストーリー全体としてエヴァを意識させられることはなく、きちんとゴジラとして見ることができました。

それでも、フォントの使い方やBGMでは庵野作品のモチーフが入っていたのが面白かったです。無理矢理組み込んだいやらしさがなく素直に受け入れられました

 

宇宙大戦争マーチのこと

映画のことはこのくらいにしておいて…普段あまり観ないから感想書きづらい。。

宇宙大戦争マーチ」の初出は1959年公開の映画「宇宙大戦争」のテーマ曲。さすがに観たことがなく、wikiであらすじをさらっただけですが、今から見るとなかなかレトロなSF映画です。そのテーマ曲としては随分と勇ましい感じがします。こればかりは観てみないと分からないところですね(でも緑茶のCMよりは似合うか…)。

後でもちらっと話しますが、伊福部昭が音楽を担当した作品ではアレンジや使い回しが多く見られます。楽をしているからといえばそこまでですけど、一曲ごとの完成度が高いからこそ成せる技かなと個人的には肯定的に見ています。

事実、サントラで用いられた数々の作品は「SF交響ファンタジー」としてクラシックコンサートのプログラムにも組み込まれる作品にまとめられています。

 

■エッセンスを凝縮 

宇宙大戦争マーチですが、この曲は言えば二部構成になっています。

一部では幅のある導入部から、スネアが刻む緊張感のあるリズムに合わせて勇ましさを感じるメロディが繰り返されます。中盤のピアノによる不協和音、終盤の木管による不安を煽るトリルを打ち消すように、主旋律が頼もしさを増して重ねてきます。

二部はトランペットのファンファーレからはじまり、前半から一変してアップテンポへ。ボルテージは徐々に上げつつも、変拍子(厳密にはちょっと違うけど)で時々息を整えて冷静さも保ちながら進んでいきます。キャッチーで、「男らしさ、力強さ」をそのまま音楽にしたようなメロディが繰り返されていきます。

スネアは速さの違いこそあれど変わらないリズムを打ち続け、曲の連続性を主張しています。低音パートはほぼ同じ音を続けているだけですが、力強さを下から支えています。

 

個人的には、終盤でのピアノの主旋律がちゃっかりリズムを刻んでいるところ、その直後はあえて淡々と演奏してファンファーレを際立たせているところが大好きです。

あれやこれや言っていますが、やっぱり勢いありきの音楽ですね。

 

曲のつくり方(前半が重々しくかつ遅い一方で、後半は速い)は「交響譚詩」「日本狂詩曲」と同様で、そのエッセンスを濃縮した印象です。曲の長さは4分程度なので、手軽に聴けるクラシック作品と言っても差し支えはないかもしれません。

 

それにしても作中での使われ方は反則ですね。N700の特攻に合わせてこれが流れるのは反則だよ!!反則だって!!!!

 

伊福部昭の「ビート」と日本人

自分自身がコントラバス弾きということで、嫌でもベースに耳がいってしまいます。

宇宙大戦争マーチ」に限ったことではないのですが、伊福部昭作品の低音は8分音符で同じ音をアクセントを交えつつ鳴らす箇所が多くなっています。ポップス的に言えば「刻み」ですね。

クラシック音楽は伝統的かつ文法的にリズム、ビートをあまり意識させない、させてはいけないつくりになっています。指先や足で拍をとることは頻繁にありますが、リズムに合わせて身体を揺らす、踊らせることはなかなかありません。極端に言えば「ボレロ」でヘドバンする人がいないようなものです。

 

一方で、伊福部昭作品はリズムを刻んでいくことを全く恐れていません。行進曲であろうとなかろうと、力強さの象徴として、スピード感を出す推進力として多用しています。

けれども僕自身はそれだけだと思いません。本来の意味からは外れてしまいますが、ポップスやロックにおけるビートに近い役割、概念を打ち出したと考えています。特に、日本の音楽において、歌謡曲からロックンロールへの橋渡しをした存在ではないかと推測しています。

メロディを支える低音および打楽器が、和太鼓のような響きを出している点は見逃せません。日本的メロディのなかにノリやすいリズムを加えたことによる影響は、クラシックだけではないはずです。日本人が好む響きで新たな概念を打ち出せば自然と受け入れられることでしょう。

幸いなことに、伊福部昭は映画音楽をはじめ、クラシック作曲家としては多くの人の耳に触れる機会が多かったです。聴かれていくなかで、日本人の音楽の感性が育まれていったことでしょう。

 

ここで誤解をして欲しくないのは、宇宙大戦争マーチで踊れるということを言ってるわけではありません。しかし、日本人の心臓をがっちりと掴んで揺さぶってくるビートがそこにあると思います。

 

■おまけ1:伊福部昭と鉄道

シン・ゴジラではシンプルなかっこ良さがありましたが、伊福部昭作品と鉄道の映像では「つばめを動かす人たち」も絶妙です。重々しいメロディと共に動く車両たちは感涙ものです(鉄道オタク並の感想)。

 

しかし、調べるとここで使われた音楽がメカゴジラのテーマにアレンジされていることを知りました。確かにEF58型電気機関車のメカニカルな感じ(後半はC62型蒸気機関車が出てくるため余計に近代的に見える)とマッチしていたので、使い回されたのはちょっと納得ではあります。

 

■おまけ2:ゴジラ

上映後の帰りがけに、一緒に観に行った人に過去のゴジラ作品についてあれこれ解説をしたのですが、よくよく考えると観た作品ってほんの少しで「おやっ」と感じました。ほぼ見てないはずなのに、ストーリーやシーンは何となく頭に入っている…。不思議に思い、記憶を辿ってみると、小学生の頃(4年生くらい?)に地元でやっていた「ゴジラ展」に一人で行ったことを思い出しました。ここで一通りおさらいをしていたわけでした。初代作品は会場内でしっかりと上映してた気もするし、ここで覚えてきたのかな。

 

■注釈

今回の記事では、スコアは読んでいないです。曲目解説では読むべきではありますが、第一印象で判断するポップス的な聴き方を意識してみました。クラシック畑の人からするとミスリードだらけかと思いますが、ご理解ください。

性春は不変だ。 銀杏BOYZ「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」

 

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

 

 

 

…思い返すだけで前回の記事が破綻してて恥ずかしい。f字孔があったら入りたい。

 
自分の言葉で音楽を考えることの難しさを痛感しましたが、めげずに続けていきます。あと、読みづらかったので書き方もかえてみます。
 
 
■疾走感と終末感
 
今回は銀杏BOYZを取り上げてみた。
パンクロックならではの激しさ、混沌さがよく出ている音楽である。
この作品は全体を通して、どこか終わりに向かっている。前半ではパンクという表現と強烈な歌詞で蓋をしているようだが、アルバムが進むにつれて太く短い青春の終わりに気づいてしまった苦しさ、「こんな世界には興味がない」と言いつつも本当に世界がひっくり返ってしまったときの戸惑いや恐怖が滲み出てくる。詳しくは後述するが、それでも生きていこうとする意思が感じられる不思議な作品だ。
 
 
■悪意はさらに満ちてきた
 
トラック6「なんて悪意に満ちた平和なんだろう」で歌われているものとは比較にならないほど、今は悪意に満ちていると思う。感じ方は人それぞれであろうが、一人一人が監視役になって、お互いを陥れようとしている。それこそ戦争のように血を流して人がたくさん死ぬことはないが、今の社会は確実に人の生きる力を奪っている。死ぬことだってある。2011年に「絆」という言葉が使われ、実際に震災の被害にあった土地ではそれが感じられたと信じているが、2016年の東京ではとても感じられない。自分の身を守るので精一杯の現状では仕方のないことだろう。
 
例えばヘイトスピーチの問題をとってみると、人間の感情的な部分を見ずに不毛な議論をかわしているように感じている。自分は論理的に意見を述べていると感じている人間ほど感情に流されている感じがする。自分は頭が悪いので政治的なことに対するこれ以上の言及は避けるし、音楽の話題に入れるのもナンセンスであろう。それこそ、誰に監視されているかわからないので。
 
 
■変わらない男子の恋愛感情
 
青春の恋愛を歌った曲はたくさんある。
神田川」「なごり雪」などなど。
…選曲が古いって?いや好きなんすよ、意外に。
確かに、銭湯で待つ光景は廃れてしまったけれど、人を待つときの気持ちや別れ際の押し潰されそうな感情は変わらない。もっとも上記の二曲や巷のラブソングみたいに綺麗ではなく、男子中高生みたいにバカな妄想である。しかし、その妄想オンリーな脳内をここまで歌にできていることに驚かされる。一緒にソフトクリームを食べたい気持ちとか、ジャージを盗む行為は不変的である…はずだ。自分の学校ではそんな事件なかったけど、そうしたい気持ちはバカな男子諸君はみんな持ってたよね。
 
■駆け抜けたあとも生きていく
 
アルバムのなかで、トラック7「もしも君がなくならば」からトラック12「若者たち」の畳み掛けてくる曲の流れがとても好きだ。様々な人の思いをストレートに歌い上げ、喜びも悲しみも心の中へスッと入ってくる。
 
終末感について触れたが、青春が終わったから死ぬのではなく、目の前から何もなくなって戸惑っても、生きようとする意思がある。振り返り、思い出に浸るのではなく、前に進むためにポイントとしている。生きてきた時代に捧げ、そしてトラック10「漂流教室」では亡き友へ捧げている。たとえ曲のテンポが下がり、後ろ髪を引かれる思いがしても、こんな場所では死ねない、という決意が芯に宿っている。
不器用だから、どう生きていくかまでは提示されていない。でもそんなことまで考えなくてもいい。極端だが、前を向くことこそが生きていく方法だ、とも感じ取れる。
 
■無様な人たちへ歌っている
 
むさ苦しいほどの熱量があるアルバムだ。しかしながら、「現代への応援歌」などといって簡単に人を後押しするような作品ではない。どこか不甲斐なかった青春時代を送っている、あるいは送ってきた人間にしか分からないロックンロールである。そんな人間はダメだし、時代なんてもっとダメである。そんななかでも振り返り過ぎずに、目の前の障害を無様でもいいから乗り越えて進んでいけばいい、と示してくれている。
 
 
■おまけ
何となくアルバム名でググってみてヒットしたレポートが面白かった。
阿部嘉昭ファンサイト: 銀杏BOYZ『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』について(林 幹大)」
 
時代背景をよく整理していて興味深かった。たまにはこういう観点でも書いてみたいな。