ロキノン爺の逆襲

音楽のことをつらつらと。主にアルバム、曲のレビュー

地続きの音楽を示す スピッツ「1987→」

 

スピッツが結成30周年である。自分が生まれる前からはじまったバンドが未だに最前線で活躍している。心から祝福する。

 

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COLDPLAY A HEAD FULL OF DREAMS TOUR at Tokyo(2017/4/19)

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14歳の頃から聴いていたイギリスのロックバンドが目の前に居る。極東の小さな島国で観れた。どれだけ幸せなことだろうか。

 

東京ドームに着くと外国人の姿が多く、成田空港の国際線ターミナルにでも迷いこんだかと思った。ビールとおつまみを買いこんでのんびりと開演を待つ姿は日本のライブ会場よりちょっと余裕があって素敵だった。

 

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魂と光の叫びを聴け SPECIAL OTHERS「マイルストーン」

 

マイルストーン

マイルストーン

 

スペアザとボーカリストとのコラボアルバム「SPECIAL OTHERSⅡ」がリリースされた。優れたメロディに、力のあるボーカリストが重なって音楽を紡いだ前作「SPECIAL OTHERS」を更にレベルアップさせたということで期待が高まった。先行リリースされた、斉藤和義との「ザッチュノーザ」も良い完成度だった。

参加アーティストの世代も広めで、最近のバンドに追いつけていない自分には刺激的だった。在日ファンクはともかくフォーリミは聴いたことなかったから新鮮だった。

 

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 BOOM BOOM SATELLITES「LAY YOUR HANDS ON ME」

LAY YOUR HANDS ON ME

LAY YOUR HANDS ON ME

 

思っていても、口にしてはいけないことは世の中にありふれている。

一昨年、アリーナ公演が発表された際、その「口にしてはいけないこと」を直感した。考えるよりも先に手が動き、気がつけば手元にチケットがあったと記憶している。

しかし、そのチケットを使うことはなかった。

 

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名曲に阪急マルーンを添えて 「くるり的阪急京都線沿線再発見スタンプラリー」


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シン・ゴジラで書いたらPVが伸びて感動…。ありがとうございます。

 

 

さて、「元「京都の大学生」が語る、くるりと京都」というタイトルで下書きをしていた記事がありました。

それをぼちぼち進めようと思ったところで、こんなニュースが飛び込んできました。

 

 「くるり×阪急電鉄スタンプラリーで京都の魅力を再発見」(ナタリー)

 http://natalie.mu/music/news/201078

 

阪急電車くるりとは…!!自分のためだけにある企画なのではないかと思いました 笑

大学二回生まで、阪急電車でアルバイトをしていました。河原町駅から桂駅にかけてが管轄エリアで、朝晩の通勤客を相手していました。マイク放送もやったりしていました。

 

今回は、スタンプラリーで取り上げられている駅と楽曲をレビューしていきます。

 

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【ちょっとだけネタバレ注意】DNAに刻まれたビート 伊福部昭「宇宙大戦争マーチ」

 

シン・ゴジラ音楽集

シン・ゴジラ音楽集

 

 

シン・ゴジラ観てきました。最初はそれほど興味がなかったのですが、異常なまでの前評判の良さだったので興味を持ちました。でも考えてみればゴジラ庵野秀明、鉄道、そして伊福部昭って俺が楽しめないわけないんですよね。

 

■初代ゴジラへのリスペクトと追体験

映画のなかでは、初代を意識させる場面が、それも焼き直しではなくきちんと解釈した上でいくつも見られたのが好印象でした。

謎の巨大生物が表れたときの人々の戸惑い、圧倒的な大きさと力に対する恐怖と無力感が破綻なく描かれていました。ゴジラ映画は何本か見ましたが、はじめて恐いと感じました。初代を観た半世紀前の人たちはこういう恐さを感じたのではないかな、と図らずも追体験をすることになりました。

 

■随所に散りばめられた庵野ワールド

 観に行く前は、「エヴァの出てこないエヴァなんだろうな」と、あまりいい期待をしていませんでした。実際に見てみると、ストーリー全体としてエヴァを意識させられることはなく、きちんとゴジラとして見ることができました。

それでも、フォントの使い方やBGMでは庵野作品のモチーフが入っていたのが面白かったです。無理矢理組み込んだいやらしさがなく素直に受け入れられました

 

宇宙大戦争マーチのこと

映画のことはこのくらいにしておいて…普段あまり観ないから感想書きづらい。。

宇宙大戦争マーチ」の初出は1959年公開の映画「宇宙大戦争」のテーマ曲。さすがに観たことがなく、wikiであらすじをさらっただけですが、今から見るとなかなかレトロなSF映画です。そのテーマ曲としては随分と勇ましい感じがします。こればかりは観てみないと分からないところですね(でも緑茶のCMよりは似合うか…)。

後でもちらっと話しますが、伊福部昭が音楽を担当した作品ではアレンジや使い回しが多く見られます。楽をしているからといえばそこまでですけど、一曲ごとの完成度が高いからこそ成せる技かなと個人的には肯定的に見ています。

事実、サントラで用いられた数々の作品は「SF交響ファンタジー」としてクラシックコンサートのプログラムにも組み込まれる作品にまとめられています。

 

■エッセンスを凝縮 

宇宙大戦争マーチですが、この曲は言えば二部構成になっています。

一部では幅のある導入部から、スネアが刻む緊張感のあるリズムに合わせて勇ましさを感じるメロディが繰り返されます。中盤のピアノによる不協和音、終盤の木管による不安を煽るトリルを打ち消すように、主旋律が頼もしさを増して重ねてきます。

二部はトランペットのファンファーレからはじまり、前半から一変してアップテンポへ。ボルテージは徐々に上げつつも、変拍子(厳密にはちょっと違うけど)で時々息を整えて冷静さも保ちながら進んでいきます。キャッチーで、「男らしさ、力強さ」をそのまま音楽にしたようなメロディが繰り返されていきます。

スネアは速さの違いこそあれど変わらないリズムを打ち続け、曲の連続性を主張しています。低音パートはほぼ同じ音を続けているだけですが、力強さを下から支えています。

 

個人的には、終盤でのピアノの主旋律がちゃっかりリズムを刻んでいるところ、その直後はあえて淡々と演奏してファンファーレを際立たせているところが大好きです。

あれやこれや言っていますが、やっぱり勢いありきの音楽ですね。

 

曲のつくり方(前半が重々しくかつ遅い一方で、後半は速い)は「交響譚詩」「日本狂詩曲」と同様で、そのエッセンスを濃縮した印象です。曲の長さは4分程度なので、手軽に聴けるクラシック作品と言っても差し支えはないかもしれません。

 

それにしても作中での使われ方は反則ですね。N700の特攻に合わせてこれが流れるのは反則だよ!!反則だって!!!!

 

伊福部昭の「ビート」と日本人

自分自身がコントラバス弾きということで、嫌でもベースに耳がいってしまいます。

宇宙大戦争マーチ」に限ったことではないのですが、伊福部昭作品の低音は8分音符で同じ音をアクセントを交えつつ鳴らす箇所が多くなっています。ポップス的に言えば「刻み」ですね。

クラシック音楽は伝統的かつ文法的にリズム、ビートをあまり意識させない、させてはいけないつくりになっています。指先や足で拍をとることは頻繁にありますが、リズムに合わせて身体を揺らす、踊らせることはなかなかありません。極端に言えば「ボレロ」でヘドバンする人がいないようなものです。

 

一方で、伊福部昭作品はリズムを刻んでいくことを全く恐れていません。行進曲であろうとなかろうと、力強さの象徴として、スピード感を出す推進力として多用しています。

けれども僕自身はそれだけだと思いません。本来の意味からは外れてしまいますが、ポップスやロックにおけるビートに近い役割、概念を打ち出したと考えています。特に、日本の音楽において、歌謡曲からロックンロールへの橋渡しをした存在ではないかと推測しています。

メロディを支える低音および打楽器が、和太鼓のような響きを出している点は見逃せません。日本的メロディのなかにノリやすいリズムを加えたことによる影響は、クラシックだけではないはずです。日本人が好む響きで新たな概念を打ち出せば自然と受け入れられることでしょう。

幸いなことに、伊福部昭は映画音楽をはじめ、クラシック作曲家としては多くの人の耳に触れる機会が多かったです。聴かれていくなかで、日本人の音楽の感性が育まれていったことでしょう。

 

ここで誤解をして欲しくないのは、宇宙大戦争マーチで踊れるということを言ってるわけではありません。しかし、日本人の心臓をがっちりと掴んで揺さぶってくるビートがそこにあると思います。

 

■おまけ1:伊福部昭と鉄道

シン・ゴジラではシンプルなかっこ良さがありましたが、伊福部昭作品と鉄道の映像では「つばめを動かす人たち」も絶妙です。重々しいメロディと共に動く車両たちは感涙ものです(鉄道オタク並の感想)。

 

しかし、調べるとここで使われた音楽がメカゴジラのテーマにアレンジされていることを知りました。確かにEF58型電気機関車のメカニカルな感じ(後半はC62型蒸気機関車が出てくるため余計に近代的に見える)とマッチしていたので、使い回されたのはちょっと納得ではあります。

 

■おまけ2:ゴジラ

上映後の帰りがけに、一緒に観に行った人に過去のゴジラ作品についてあれこれ解説をしたのですが、よくよく考えると観た作品ってほんの少しで「おやっ」と感じました。ほぼ見てないはずなのに、ストーリーやシーンは何となく頭に入っている…。不思議に思い、記憶を辿ってみると、小学生の頃(4年生くらい?)に地元でやっていた「ゴジラ展」に一人で行ったことを思い出しました。ここで一通りおさらいをしていたわけでした。初代作品は会場内でしっかりと上映してた気もするし、ここで覚えてきたのかな。

 

■注釈

今回の記事では、スコアは読んでいないです。曲目解説では読むべきではありますが、第一印象で判断するポップス的な聴き方を意識してみました。クラシック畑の人からするとミスリードだらけかと思いますが、ご理解ください。

性春は不変だ。 銀杏BOYZ「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」

 

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

 

 

 

…思い返すだけで前回の記事が破綻してて恥ずかしい。f字孔があったら入りたい。

 
自分の言葉で音楽を考えることの難しさを痛感しましたが、めげずに続けていきます。あと、読みづらかったので書き方もかえてみます。
 
 
■疾走感と終末感
 
今回は銀杏BOYZを取り上げてみた。
パンクロックならではの激しさ、混沌さがよく出ている音楽である。
この作品は全体を通して、どこか終わりに向かっている。前半ではパンクという表現と強烈な歌詞で蓋をしているようだが、アルバムが進むにつれて太く短い青春の終わりに気づいてしまった苦しさ、「こんな世界には興味がない」と言いつつも本当に世界がひっくり返ってしまったときの戸惑いや恐怖が滲み出てくる。詳しくは後述するが、それでも生きていこうとする意思が感じられる不思議な作品だ。
 
 
■悪意はさらに満ちてきた
 
トラック6「なんて悪意に満ちた平和なんだろう」で歌われているものとは比較にならないほど、今は悪意に満ちていると思う。感じ方は人それぞれであろうが、一人一人が監視役になって、お互いを陥れようとしている。それこそ戦争のように血を流して人がたくさん死ぬことはないが、今の社会は確実に人の生きる力を奪っている。死ぬことだってある。2011年に「絆」という言葉が使われ、実際に震災の被害にあった土地ではそれが感じられたと信じているが、2016年の東京ではとても感じられない。自分の身を守るので精一杯の現状では仕方のないことだろう。
 
例えばヘイトスピーチの問題をとってみると、人間の感情的な部分を見ずに不毛な議論をかわしているように感じている。自分は論理的に意見を述べていると感じている人間ほど感情に流されている感じがする。自分は頭が悪いので政治的なことに対するこれ以上の言及は避けるし、音楽の話題に入れるのもナンセンスであろう。それこそ、誰に監視されているかわからないので。
 
 
■変わらない男子の恋愛感情
 
青春の恋愛を歌った曲はたくさんある。
神田川」「なごり雪」などなど。
…選曲が古いって?いや好きなんすよ、意外に。
確かに、銭湯で待つ光景は廃れてしまったけれど、人を待つときの気持ちや別れ際の押し潰されそうな感情は変わらない。もっとも上記の二曲や巷のラブソングみたいに綺麗ではなく、男子中高生みたいにバカな妄想である。しかし、その妄想オンリーな脳内をここまで歌にできていることに驚かされる。一緒にソフトクリームを食べたい気持ちとか、ジャージを盗む行為は不変的である…はずだ。自分の学校ではそんな事件なかったけど、そうしたい気持ちはバカな男子諸君はみんな持ってたよね。
 
■駆け抜けたあとも生きていく
 
アルバムのなかで、トラック7「もしも君がなくならば」からトラック12「若者たち」の畳み掛けてくる曲の流れがとても好きだ。様々な人の思いをストレートに歌い上げ、喜びも悲しみも心の中へスッと入ってくる。
 
終末感について触れたが、青春が終わったから死ぬのではなく、目の前から何もなくなって戸惑っても、生きようとする意思がある。振り返り、思い出に浸るのではなく、前に進むためにポイントとしている。生きてきた時代に捧げ、そしてトラック10「漂流教室」では亡き友へ捧げている。たとえ曲のテンポが下がり、後ろ髪を引かれる思いがしても、こんな場所では死ねない、という決意が芯に宿っている。
不器用だから、どう生きていくかまでは提示されていない。でもそんなことまで考えなくてもいい。極端だが、前を向くことこそが生きていく方法だ、とも感じ取れる。
 
■無様な人たちへ歌っている
 
むさ苦しいほどの熱量があるアルバムだ。しかしながら、「現代への応援歌」などといって簡単に人を後押しするような作品ではない。どこか不甲斐なかった青春時代を送っている、あるいは送ってきた人間にしか分からないロックンロールである。そんな人間はダメだし、時代なんてもっとダメである。そんななかでも振り返り過ぎずに、目の前の障害を無様でもいいから乗り越えて進んでいけばいい、と示してくれている。
 
 
■おまけ
何となくアルバム名でググってみてヒットしたレポートが面白かった。
阿部嘉昭ファンサイト: 銀杏BOYZ『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』について(林 幹大)」
 
時代背景をよく整理していて興味深かった。たまにはこういう観点でも書いてみたいな。