ロキノン爺の逆襲

音楽のことをつらつらと。主にアルバム、曲のレビュー

ゆるやかな諦めを受け止めて。 宇多田ヒカル「BADモード」

世界中の誰もが向き合っている疫病。音楽の世界にも天地がひっくり返るほどの影響があり、現在進行形で進んでいる。

2020年は立ち向かおうとする曲が、2021年は無理をしないことを勧める曲がよく流れていたように思う。

向き合い方が誰も分からない情勢はアーティストも同様だったなか、「ありのまま受け止める」という音楽も生まれてきた。宇多田ヒカルのアルバム「BADモード」もその一つに感じられる。

2022年、人類の現在地

アルバム「BADモード」は、タイトルからしてキラキラと弾けるような作品ではないことは明瞭だが、ギラギラとした力強さがみなぎっているわけでもない。ゆるやかな諦めが流れているようだ。

「この情勢が終わったら会おう」という常套句、16時45分の速報、マスクをせず向かってくる人と距離を離す瞬間。嫌が応でも順応せざるを得ない状況、これを覆す力は音楽にない。

人類の多くが憂鬱で内向的になっている今現在、流れてくる音楽としてこのマイナーでダウナーな曲たちは至極自然なことに思う。応援歌や慰める曲ではたどり着けない、市井の人間としてのリアリティが言葉選びからもサウンドからも伝わってくる。

イギリスで製作されたにも関わらず、同じ場所で同じ出来事を見てきたかのように寄り添っている。今起きていることの大きさへの恐怖すら感じさせる。

再び紡がれる物語

10曲の収録曲の半分以上が既発曲、8曲がタイアップ作品ながら、寄せ集め感は一切ない。2020年以前の曲も違和感なく馴染んでいる。内向的な作品たちが時代の流れと図らずもマッチした、と考えるほうが正しいかもしれない。

通して再生したときに、まるで初めて聴くかのような新鮮さと表現される世界観がアルバムとして出すことの意義を改めて実感させてくれる。

 

全体的に連綿と続く流れがあるが、特に一曲目「BADモード」から三曲目「One Last Kiss」にかけて、緩急をつけながら想いのはじまりから終わりまでを歌い上げる一つの壮大な物語として聴こえる。特に「BADモード」は幕開けに相応しい、明るいサウンドとやや早いテンポが身体を揺らしてくれる。しかし華やかなホーンセクションと色気のあるギター達とは裏腹に、どこか影のある歌唱と時勢を感じさせるワードがアルバムの方向性を予感させる。

この三曲で構成される出会いから別れ、それも決して成就しないというストーリーは、アルバム全体に流れる諦めの一つを表現している。

前半の雄大な流れから変容し、8曲目「Find Love」からラストに向けてビートが強くなり、波打つように進んでいく。ともすれば流れの速さに振り落とされそうな瞬間すらある。

12分弱に及ぶ最終曲「Somewhere Near Marseillesーマルセイユ辺りー」はミニマルな作りで意表を突かれる。それまでの曲の、物語を歌い上げる歌詞とは異なり、LINEのちょっとしたメッセージくらいしかない情報量で構成されている。リピートされるフレーズが心地よい響きとなり引き込まれていく。

諦めはあるが絶望はしていない

今にはじまったことではないが、諦めるというワードには逃げる、投げ捨てるなどの意味が内包されている故、非常にネガティブに受け止められる。しかし、この作品にはそのような失望感、絶望感、あるいは投げやりな思いはなく、現状にうんざりして自分のことを考えているような雰囲気がある。

ありのままを受け止めた、今を生き抜く人々までも描いている作品だ。鮮やかな応援歌ではなくても、心に響いてくることだろう。