ロキノン爺の逆襲

音楽のことをつらつらと。主にアルバム、曲のレビュー

性春は不変だ。 銀杏BOYZ「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」

 

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

 

 

 

…思い返すだけで前回の記事が破綻してて恥ずかしい。f字孔があったら入りたい。

 
自分の言葉で音楽を考えることの難しさを痛感しましたが、めげずに続けていきます。あと、読みづらかったので書き方もかえてみます。
 
 
■疾走感と終末感
 
今回は銀杏BOYZを取り上げてみた。
パンクロックならではの激しさ、混沌さがよく出ている音楽である。
この作品は全体を通して、どこか終わりに向かっている。前半ではパンクという表現と強烈な歌詞で蓋をしているようだが、アルバムが進むにつれて太く短い青春の終わりに気づいてしまった苦しさ、「こんな世界には興味がない」と言いつつも本当に世界がひっくり返ってしまったときの戸惑いや恐怖が滲み出てくる。詳しくは後述するが、それでも生きていこうとする意思が感じられる不思議な作品だ。
 
 
■悪意はさらに満ちてきた
 
トラック6「なんて悪意に満ちた平和なんだろう」で歌われているものとは比較にならないほど、今は悪意に満ちていると思う。感じ方は人それぞれであろうが、一人一人が監視役になって、お互いを陥れようとしている。それこそ戦争のように血を流して人がたくさん死ぬことはないが、今の社会は確実に人の生きる力を奪っている。死ぬことだってある。2011年に「絆」という言葉が使われ、実際に震災の被害にあった土地ではそれが感じられたと信じているが、2016年の東京ではとても感じられない。自分の身を守るので精一杯の現状では仕方のないことだろう。
 
例えばヘイトスピーチの問題をとってみると、人間の感情的な部分を見ずに不毛な議論をかわしているように感じている。自分は論理的に意見を述べていると感じている人間ほど感情に流されている感じがする。自分は頭が悪いので政治的なことに対するこれ以上の言及は避けるし、音楽の話題に入れるのもナンセンスであろう。それこそ、誰に監視されているかわからないので。
 
 
■変わらない男子の恋愛感情
 
青春の恋愛を歌った曲はたくさんある。
神田川」「なごり雪」などなど。
…選曲が古いって?いや好きなんすよ、意外に。
確かに、銭湯で待つ光景は廃れてしまったけれど、人を待つときの気持ちや別れ際の押し潰されそうな感情は変わらない。もっとも上記の二曲や巷のラブソングみたいに綺麗ではなく、男子中高生みたいにバカな妄想である。しかし、その妄想オンリーな脳内をここまで歌にできていることに驚かされる。一緒にソフトクリームを食べたい気持ちとか、ジャージを盗む行為は不変的である…はずだ。自分の学校ではそんな事件なかったけど、そうしたい気持ちはバカな男子諸君はみんな持ってたよね。
 
■駆け抜けたあとも生きていく
 
アルバムのなかで、トラック7「もしも君がなくならば」からトラック12「若者たち」の畳み掛けてくる曲の流れがとても好きだ。様々な人の思いをストレートに歌い上げ、喜びも悲しみも心の中へスッと入ってくる。
 
終末感について触れたが、青春が終わったから死ぬのではなく、目の前から何もなくなって戸惑っても、生きようとする意思がある。振り返り、思い出に浸るのではなく、前に進むためにポイントとしている。生きてきた時代に捧げ、そしてトラック10「漂流教室」では亡き友へ捧げている。たとえ曲のテンポが下がり、後ろ髪を引かれる思いがしても、こんな場所では死ねない、という決意が芯に宿っている。
不器用だから、どう生きていくかまでは提示されていない。でもそんなことまで考えなくてもいい。極端だが、前を向くことこそが生きていく方法だ、とも感じ取れる。
 
■無様な人たちへ歌っている
 
むさ苦しいほどの熱量があるアルバムだ。しかしながら、「現代への応援歌」などといって簡単に人を後押しするような作品ではない。どこか不甲斐なかった青春時代を送っている、あるいは送ってきた人間にしか分からないロックンロールである。そんな人間はダメだし、時代なんてもっとダメである。そんななかでも振り返り過ぎずに、目の前の障害を無様でもいいから乗り越えて進んでいけばいい、と示してくれている。
 
 
■おまけ
何となくアルバム名でググってみてヒットしたレポートが面白かった。
阿部嘉昭ファンサイト: 銀杏BOYZ『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』について(林 幹大)」
 
時代背景をよく整理していて興味深かった。たまにはこういう観点でも書いてみたいな。